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第11回東北復興支援ツーリング~君に見せたい景色があるVol11

更新日:6月22日

Prologue-2026/06/07~女川の朝

今年も東北へ向かった。それはツーリングでもあり、仲間と再会する旅でもあり、そして忘れないための旅でもある。今年も関東から地元宮城からと多くのライダーが女川へ集まった。笑顔で再会し、コーヒーを飲み、ブリーフィングが始まる。 11年目に石巻から新たに変わった集合場所、「道の駅おながわ第六駐車場」この場所が私たちにとってどんな意味を持つ場所なのか、私は知らなかった。

女川で行われた出発前のブリーフィング今年も東北へ集まったライダーたち
女川で行われた出発前のブリーフィング今年も東北へ集まったライダーたち

旅の始まりと支えてくれる人たち

2026/06/04~第11回東北復興支援ツーリングのスタートは、仙台市にある株式会社早坂サイクル商会大手町店 MotorStage Otemachi様から始まりました。

今回の旅では、竹川由華さんにHonda Rebel250をご提供いただくなど、多大なるご協力をいただきました。この場をお借りして、株式会社早坂サイクル商会様へ心より御礼申し上げます。
今回の旅では、竹川由華さんにHonda Rebel250をご提供いただくなど、多大なるご協力をいただきました。この場をお借りして、株式会社早坂サイクル商会様へ心より御礼申し上げます。

一般社団法人Peacemakerの行うオレンジバイカーズ活動(児童虐待防止活動の啓蒙啓発活動)や東北復興支援活動などに多大なご理解とご協力を頂き、いつも大変お世話になっている。早坂サイクル商会さんは、宮城県を拠点に展開する創業80年以上の老舗企業であり、同県および東北エリアにおける自転車・オートバイ販売のトップクラスのシェアと影響力を持つリーディングカンパニー。

店内には最新モデルからツーリングモデルまで数多くの車両が展示されており、東北のライダー文化を支え続けているショップであることが伝わってきます。オートバイを販売するだけではなく、人と人をつなぎ、地域のライダーを支える存在。だからこそ私たちPeacemakerも長年お付き合いさせていただいています。
店内には最新モデルからツーリングモデルまで数多くの車両が展示されており、東北のライダー文化を支え続けているショップであることが伝わってきます。オートバイを販売するだけではなく、人と人をつなぎ、地域のライダーを支える存在。だからこそ私たちPeacemakerも長年お付き合いさせていただいています。

レンタルバイクの種類も多くレンタルバイクで旅をするライダーには最高の味方
レンタルバイクの種類も多くレンタルバイクで旅をするライダーには最高の味方

社長にもお出迎え頂き宮城県で行う新たなサイクリストのイベントなどの話も伺う事が出来ました。ありがとうございました。



海は、あの日のことを知っている

さて、旅の友を手に入れ、竹川由華ちゃんとも合流した私たちが最初に立ち寄ったのは、東松島市にある震災遺構「旧野蒜駅」青空の下に静かに残るホーム。その足元には津波の力で大きく曲がったレールが15年経った今も残されている。

近くには野蒜海岸という美しい海岸もある。実際にこの場所へ立つと、テレビでは伝わらない空気がある、数年前にもたちよったが、あれから4年、震災遺構ですら曲がった線路の周りに草が生えていて少し風化の気配。 頭の上を、たった一機で訓練するブルーインパルスの轟音だけが響く。 次期広域社会貢献ツーリング企画A-RIDEの取材もかねて来ている私たちは早々に旧野蒜駅をあとに次へ向かう

 

震災遺構で「あの日」の現実に触れた私たちは、次に宮城県東松島市・宮戸島にある「旧鮫ヶ浦漁港」へ向かいました。ここは、秘境のようなトンネルを抜けると現れる、一見すると、穏やかな入り江が広がる静かな漁港(跡)です。

しかし、この場所には震災だけではない、もう一つの歴史が刻まれています。 旧鮫ヶ浦漁港に残る「海へ続くレール」。太平洋戦争末期、特攻艇「震洋」を進水させるために敷設された貴重な戦争遺跡です。静かな海を前にすると、その歴史の重みを自然と感じます。

旧鮫ヶ浦漁港には、太平洋戦争末期に旧日本海軍の特攻艇「震洋(しんよう)」を海へ進水させるために敷設されたレールが、今も当時の姿のまま残されています。

ここは第146震洋隊基地跡として知られる、全国でも貴重な戦争遺跡です。

山を切り開き、手掘りのトンネルを抜けた先に現れる小さな港。静かな海へと真っすぐ伸びるレールは、約80年前、この国を守ろうと若い兵士たちが命を懸けて準備をしていた場所でした。 幸いにも、この基地から実際に特攻艇が出撃することはなかったと伝えられています。

それでも、この場所に立つと、当時を生きた人々の覚悟や想いが静かに伝わってくるような気がします。


そして2011年3月11日。

この穏やかな入り江とこの付近にも津波が押し寄せ、多くの人々の暮らしが一瞬で奪われました。

国を守るために命を懸けようとした人々がいた場所。

そして、突然襲ってきた自然災害によって、多くの尊い命が失われた場所。

まったく異なる二つの時代が、この静かな港で交差しています。

海は何も語りません。それでも、その静けさの中には、戦争と震災という二つの歴史を見つめ続けてきた時間が、確かに流れているように感じました。

さらに、この港は近年ではもう一つの顔を持っています。

映画や小説のロケ地としても知られ、「鮫ヶ浦水曜日郵便局」のモデルとなった場所です。 映画や小説の舞台としても知られる旧鮫ヶ浦漁港。穏やかな景色の奥には、戦争と震災、二つの歴史が静かに刻まれています。美しい景色を眺めながら、この土地が歩んできた時間に思いを巡らせました。

森沢明夫さんの小説『水曜日の手紙』の世界観を大切に受け継ぎ、今では多くの人がこの静かな港を訪れています。悲しい歴史だけではなく、人と人をつなぐ優しい物語が、この場所には新たに息づいていました。旅先で景色を楽しむことも素敵な時間です。

でも、その土地で何があり、どんな人たちが暮らし、どんな歴史を歩んできたのかを知ることで、旅はもっと深く、もっと心に残るものになります。

私たちが東北へ通い続ける理由も、きっとそこにあるのだと思います。

空を見上げる町

震災の記憶を巡ったあと、私たちは航空自衛隊松島基地近くへ向かいました。

ここはブルーインパルスのホームグラウンド。東北の空を力強く飛び続けるその姿は、多くの人に希望を届けています。

展示機の前では、竹川由華さんも思わず笑顔。

復興を支えるのは悲しみだけではありません。

未来へ向かって進む人たちの笑顔もまた、この町の大切な景色です。東北へ来たら楽しんで笑って応援しよう!そんな気持ちの切り替えをしてブルーインパルス!!

東北の空を飛び続けるブルーインパルス。復興と希望のシンボルでもあります。
東北の空を飛び続けるブルーインパルス。復興と希望のシンボルでもあります。

その後に訪れたのは、

空の駅 陸前小野。

地元の特産品や地域の方々とのふれあいが楽しめる小さな交流施設です。

ここは「おのくん」の家で有名な場所。

 

おのくんの本名は「めんどくしぇ おのくん」。おのくんを迎え入れてくれた家族のことを「里親さん」と呼んでいるんです
おのくんの本名は「めんどくしぇ おのくん」。おのくんを迎え入れてくれた家族のことを「里親さん」と呼んでいるんです

おのくんとは靴下を使って作られたソックスモンキー。宮城県東松島市「小野駅前応急仮設住宅」から生まれたキャラクターです。東日本大震災によってこれまでのゆったりとした暮らしが一変、被災して先の見えなくなった困難な状況のなかで、仮設住宅のお母さんたちが東松島の復興を願って作り出してくれました。


この日は残念ながらお休みでしたが、いつかおのくんの里親になれる日を夢見て「由華さん」も思わず記念撮影。東北を巡る旅には、こんな何気ない一枚がよく似合います。 

 

一日の終わりは、どこか懐かしい宿で。

震災の記憶を辿りながら走り続けた一日。

その締めくくりに私たちが宿泊したのは、石巻市北上町にある追分温泉です。 https://www.instagram.com/tougenoyu_oiwakeonsen/


館内を歩いていると、どこか小学校の校舎を思わせる木造の廊下。思わず立ち止まって写真を撮りたくなる景色があちこちにあります。便利さだけでは味わえない、「残してほしい空気」がここにはありました。
館内を歩いていると、どこか小学校の校舎を思わせる木造の廊下。思わず立ち止まって写真を撮りたくなる景色があちこちにあります。便利さだけでは味わえない、「残してほしい空気」がここにはありました。

木造の建物に足を踏み入れると、まるで時間がゆっくり流れ始めたような感覚になります。

廊下を歩く音。

木の香り。

薪ストーブのぬくもり。

豪華さではなく、どこか懐かしく、心が落ち着く空間。それが追分温泉。

南三陸の新鮮なウニ!カニ!刺身!白魚の踊りまでついてる!食べきれないほどの料理が並ぶ
南三陸の新鮮なウニ!カニ!刺身!白魚の踊りまでついてる!食べきれないほどの料理が並ぶ

夕食には三陸の海の幸を中心とした豪華な料理が並びます。一品一品にこの土地の豊かさが詰まっています。白魚の踊りまでついてる!仲間と語り合いながら食べる食事は、旅ならではの贅沢な時間でした。

翌朝。宿をあとにする前に一枚。旅の始まりとはまた違う笑顔。一日を走り、一晩語り合い、また東北を知り何度も足を運ぶ理由が少しわかった気がします。

 

変わっていく町 南三陸さんさん商店街

2026/06/05~二日目の朝は、 朝から追分温泉近くの神社などを巡り早々に仲間との合流場所である「南三陸さんさん商店街」へ向かった。 私が初めてここを訪れた2013年、防災対策庁舎は道路より高い位置にあり、私たちは見上げていた。近くの道路沿いにプレハブの商店が立ち並び、「プレハブで営業を再開したコンビニ」の姿は、東北の人々の復興への思いをまじまじと知る姿だった。

周辺のかさ上げ工事が始まったばかりで通るたびに道が変わっていた頃の防災庁舎の付近、写真は2016年ころの写真でお客様に頂いた写真
周辺のかさ上げ工事が始まったばかりで通るたびに道が変わっていた頃の防災庁舎の付近、写真は2016年ころの写真でお客様に頂いた写真

それから十数年。町全体は大きくかさ上げされ、今では同じ防災対策庁舎を高台から見下ろしている。同じ建物、同じ場所。それなのに、景色はまるで別の町のように変わっていた。

現在の防災対策庁舎。高台から見下ろす風景
現在の防災対策庁舎。高台から見下ろす風景

木の温もりあふれる商店街には多くの観光客が訪れ、笑顔が行き交う。仲間と地元の美味しい料理を囲み、何気ない時間を過ごすことも、地域を応援する大切な時間だと感じる。復興支援とは特別なことではない。その土地を訪れ、食べ、買い物をして、人と出会い、笑顔で帰る。その積み重ねもまた、東北への応援なのだと思う。





綺麗にかさ上げされた場所に現在のさんさん商店街。震災から数年後のかさ上げ前を知る人でなければまるで当然のように思いえる姿、 施設内にある震災遺構や写真などを見ない限りこの場所で起きた悲劇は知らない方も多いと思う。 でも、私たちが今できるのは、この場所を訪れて過去を知り、そして生まれ変わった便利で素敵な場所を精一杯楽しみながら訪れること、笑顔も旅の大切な思い出

私たちは気仙沼へ向かいます。


変わった町、変わらない想い

南三陸を後にした私たちは、一路、気仙沼へ向かいました。

気仙沼もまた、東日本大震災で甚大な被害を受けた町の一つです。

若い頃に会社の旅行で訪れた私の記憶にある気仙沼は、日本有数の漁港として栄え、港町らしい活気にあふれた町でした。フカヒレをはじめとする海の幸が有名で、古い街並みと港町ならではの独特の雰囲気のある町だったことを今でも覚えています。

そして15年。



気仙沼は、以前とはまた違う魅力を持つ町へと生まれ変わっていました。

整備された市街地、美しく整った商店街、気仙沼大島や白く美しい気仙沼の白い橋、そして唐桑半島の雄大な景色。漁業の町というだけではなく、「訪れる町」としての魅力が加わり、多くの人が足を運びたくなる観光地へと成長していました。

まるで白鳥が羽を広げたように美しい白い橋「気仙沼湾横断大橋」の袂でスナップ写真
まるで白鳥が羽を広げたように美しい白い橋「気仙沼湾横断大橋」の袂でスナップ写真

しかし、その景色を眺めながら、ふと考えさせられることがありました。

私たち県外から訪れる人間にとっては、

「ずいぶん綺麗になった。」

「便利になった。」

「素敵な町になった。」

そんな言葉が自然と口をついて出ます。それは決して間違いではありません。

けれど、この三日間、宮城を走り続ける中で気付いたことがあります。

私たちが「新しい町」と感じているその場所は、宮城の皆さんにとっては、かつての生活があった場所でもあるということです。

新しい建物が建ち、道路が整備され、町は美しく生まれ変わりました。

けれど、その新しい景色は、決して「何もなかった場所」に造られたものではありません。

たくさんの思い出と、大切な人との時間の上に、今の町がある。

そんな当たり前のことを、私たちはどこか忘れてしまいがちなのかもしれません。

だからこそ、この町を訪れるたびに、その土地の歴史を知り、その土地に暮らす人たちの想いやあの時の話に耳を傾けることが、私たちにできる小さな復興支援なのだと思いました。

「おかえり」が待つ宿~唐桑御殿 つなかん

気仙沼では、今回も私たちの"ふるさと"とも言える宿、「つなかん」さんにお世話になりました。気仙沼サンタライダーが始まって以来、毎年お世話になっている宿です。

玄関を開けると、女将さんがいつもの笑顔で迎えてくれます。

「おかえりー!」

たった一言。

それだけなのに、不思議と肩の力が抜けます。まるで実家へ帰ってきたような、そんな安心感があります。

もちろん、新鮮なマグロ料理をはじめ、食事も絶品。

それでも私たちが毎年ここへ帰って来たくなる理由は、美味しい料理だけではありません。 あの「おかえり」の一言があるからです。人とのつながりが、この宿にはあります。

お父様がマグロ漁師という事でマグロの希少な部位が食べられる今回はマグロの「卵」と「胃袋」どちらも絶品の酒のあて。
お父様がマグロ漁師という事でマグロの希少な部位が食べられる今回はマグロの「卵」と「胃袋」どちらも絶品の酒のあて。

つんかんを出る私たちを見送ってくれるおかみさん。いつもの風景、また来年!
つんかんを出る私たちを見送ってくれるおかみさん。いつもの風景、また来年!

2026/06/06~今年も大漁旗に見送られながら、無事に第5回気仙沼サンタライダーを終え、私たちは、明日の第11回東北復興支援ツーリングの集合場所である女川と石巻へ向かいました。

南三陸ブルーラインを仲間たちと走る時間は、何度走っても最高です。



そして、6/6の宿「割烹民宿めぐろ」さんへ。 https://www.oshika-meguro.com/

到着した頃には、港の真ん前の立地だからこそ見れる美しい夕焼けが空を染めていました。

まずは全員で「お疲れ様!」の一杯。

これも毎年の楽しみです。 近くにコンビニがあるのですぐに買い出しに行けます。 お部屋は港が一望できる海側のお部屋と山側のお部屋、どちらも綺麗で清潔感のあるお宿です。

宿自慢の「吉次の素揚げ」は、サンドウィッチマンの伊達さんも絶賛した名物料理。

初めて食べた時から忘れられない味で、実は私たちがこの宿へ戻って来る理由の一つでもあります。


忘れないということ

そして迎えた6月7日。第11回東北復興支援ツーリング当日です。

今年は初めて女川町をスタート地点に選びました。その理由は、来年から始まる社会貢献型ツーリングラリー「A-RIDE」の宮城ルートを、自分たちの目で確かめたかったから。

三日間かけて東松島、南三陸、気仙沼を巡り、多くの震災遺構を訪ね、多くの人と出会い、観光地や名所を巡りこの日を迎えました。

「忘れてはいけない。風化させないためにも・・。」

その言葉の意味を、私たちなりに考えながら。集合場所には、今年も多くの仲間が集まりました。

ブリーフィングが始まり、Peacemaker宮城支部長・鬼澤さんが静かに話し始めます。

「震災から15年。

そして、この復興支援ツーリングも11年になりました。

毎年こうして宮城へ来てくださり、本当にありがとうございます。」

少し言葉を選ぶように間を置き、鬼澤支部長は続けました。

「私は大学時代を、この女川で過ごしました。」

「あそこに見える建物のすぐ裏側です。」

「ここも津波ですべて流され、何もなくなった場所でした。」

しばらく沈黙したあと、小さく息を吸って話した言葉。


「皆さんが今、立っているこの場所は、大学時代の友人が住んでいた場所です。」

「彼は、今もまだ帰ってきていません。」

その場の空気が、一瞬で変わりました。

鬼澤支部長は続けます。

「町は綺麗になりました。建物も道路も、新しくなりました。でも、私たちの心の復興は、まだ終わっていません。」

「私と同じような思いを抱えながら生きている人が、この宮城にはたくさんいます。」

「だから皆さんが毎年こうして来てくれること。忘れないでいてくれること。

それが私たちにとって、本当に大きな支えなんです。」

私は、その言葉を聞きながら、この三日間見てきた景色が一つにつながった気がしました。

私たちは「復興した町」を見ていました。

でも宮城の皆さんは、「失った町」を心に刻みながら抱えながら生きていました。

同じ景色を見ていても、見えているものはまったく違っていたのです。

建物は復興しました。道路も整備されました。商店街には笑顔が戻り、観光客も増えました。それでも、この町に暮らす人たちの心の中には、大切な家族や友人、そして失われた日常が今も生き続けています。

私たち県外から訪れる人間には、

「すっかり綺麗な町になった」

そんな風に映ります。

でもあの震災を経験した皆さんには、きっと違う景色が見えています。

あそこには家があった。

ここには友人がいた。

あの店には家族との思い出があった。

私たちが「新しい町」と呼ぶ景色は、

誰かの日常の上に築かれた町なのです。


ブログを書きながら、友人との会話を思い出しました。

つい先日、自宅の近くに新しくできた大型商業施設の前を車で走っていた時のことです。

「ここって、昔は何があったっけ?」

友人がそう聞きました。

「森だったかな……。」

「いや、林だったような気もする。」

「団地になる前は何だった?」

「神社があったような……。」

「駅も昔は無人駅だったよね。」

「木造だったっけ?」

ほんの十数年前の景色のことです。

毎日のように通っていた場所なのに、顔を見合わせながら、どちらもはっきり思い出せませんでした。新しい道路ができ、駅は建て替えられ、大型商業施設が建ち並ぶ。

便利になった景色に、私たちは少しずつ慣れていきます。

そして、そこにあった景色は、いつの間にか記憶の奥へとしまわれていきます。 「新しい団地が出来た」 「新しい商業施設が出来た」 「新しい道路が出来た」 なんかすごく便利になったね!大きな団地で賑やかになったね!

それは、決してそれまでの景色を忘れようとしたわけではありません。利便性という習慣の中でいつの間にか忘れて、元々そこに生活があったわけではないから、なんとなく忘れ去られていく・・・。 でも、あの日、ココで失われた景色は、都市開発や開発行為で便利にするために変わった景色ではありません。

そこには家族が暮らしていました。

友人が笑っていました。

お気に入りのお店がありました。

毎日の「おかえり」がありました。

当たり前だった日常がありました。

だから皆さんは、その景色を私たちとは違う見方で見ていて鮮明に覚えているのでしょう。

建物は新しくなりました。

道路も整備されました。

町は美しく生まれ変わりました。

それでも、その景色の向こうには、今もそれぞれの思い出があります。

今回の旅で、鬼澤支部長が話してくれた言葉、

「町の復興は進みました。でも、私たちの心の復興は、まだ終わっていないんです。」

私はその言葉を、これからも忘れないと思います。 私たちは、きっと、これからも東北へ、被災地へ向かいます。 悲しい顔をするためではありません。 笑顔で、美味しいものを食べて、たくさん笑って、東北の仲間やみなさんとまた新しい思い出を作り「また来ます」と帰るためです。 復興支援を謳うなんて、おこがましいくらい小さなことしかできません。

それでも11年間、私たちは東北へ通い続けました。

その積み重ねが、人と人をつなぎ、心と心をつないでくれました。

11年前、「君に見せたい景色がある」と始まったこの旅。

今、私が本当に見たい景色は、君に見せる景色ではありません。

君と、また一緒に見たい景色です。

私たちが出来ること、それは~また会いに来るために走る。 こんな小さなことの積み重ねが、長い年月が過ぎても人と人を繋ぎ思いを結び、いつか東北みなさんの心の復興になってくれると信じています。  


あとがき おかげさまで 第11回東北復興支援ツーリングは無事終了しました、 霧に包まれたコバルトライン、雲海に沈む御番所公園も関東の私たちにはあまり経験できない景色で楽しむことが出来ました。参加者のみなさまも無事帰宅され、今年も良い思い出がつくれました。 あと何回、この地を訪れることが出来るだろう? あと何回、この笑顔に会えるだろう? そんなことも感じながらまた君に見せたい景色、「君と見たい景色」を来年も訪れたいと思います。参加頂いた皆様参加ありがとうございました。 町も風景も綺麗になり少しづつ、あの日の前のような風景が戻って来ていて記憶の中で薄れていく年月が流れた今だからこそ、あの日を紡ぐ記録を大切にしたいですね。

女川観光協会 今野さま 私どもの活動にご理解を頂き「道の駅おながわ第六駐車場(バイク専用駐車場)」をお貸しいただき誠にありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。道の駅おながわではオートバイで地域を盛り上げるための様々な企画やイベントを行っています!ぜひ!観光協会でマップなどをもらって牡鹿半島を巡ってみよう!

コバルトラインなどの写真ギャラリー


東北復興支援ツーリングギャラリー


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