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被災地を結ぶライダーの絆 福島・新地町の「復興フラッグ」が房総にやってきた

更新日:2021年12月4日

今後も度重なる台風被害、お見舞い申し上げます。

皆さまこんにちは・こんばんは、Peacemaker広報部の山本です。


まずは、この度の台風15号・19号による被害に遭われてお亡くなりになられた方々に、ご冥福をお祈りいたします。

そして、日常を奪われてしまった被災地の皆様に一刻も早い平安が戻りますことを心より祈念してお見舞い申し上げます。


「復興フラッグ」を知っていますか?

さてみなさん、私が東北・小鹿半島の金華山をバックに持っているこの旗。


何の旗だかわかりますか?

これは2011年3月11日の東日本大震災の津波被害で壊滅状態にあった、福島県相馬郡・新地町の人々を励まし続けた「復興フラッグ」。 そしてこの旗は、ライダーの善意と機動力が築いてきた、被災地との絆の証なのです。 今回はこの「復興フラッグ」が取り持つライダーの素晴らしい絆についてお伝えしていきますよ。


「交流フラッグ」とは


もともとこの「復興フラッグ」は3・11の際、新地町での救援活動を展開していた岡山の自衛隊員の方が、がれきの中から小学校の名前の入った日の丸を見つけ、復興の祈りを込めてそれを人々の営みが消えた新地町のとある交差点に掲げたのが始まり。

2代目フラッグ

初代の日の丸には、自衛隊福岡第2施設群の隊員の方々がよる寄せ書きが加えられ、以降、風雨にちぎられながらも、2代目・3代目の旗へとその意思が受け継がれていきます。

3代目フラッグ

やがて日の丸には、全国各地から復興支援に訪れたライダーたちによる励ましの寄せ書きも加わって、住民の方々を勇気づけていく復興のシンボルになっていきました。




現在の旗は、3代目の日の丸の劣化に気付いた地元のバイク愛好家たちが仲間に協力を呼びかけて、平成26年の元旦に掲げられた4代目。

4代目フラッグ

みんなの笑顔と応援メッセージをデザインしたこの旗は『復興フラッグ』と名付けられ、震災の記憶と共に、たくさんの人々の絆をがここにあることを伝え続けています。

※復興フラッグは2015年8月下旬より新地町役場の敷地内に移設されていますが、もともと掲揚されていた魚釣地区の造成建設工事が完成した際には、今年4月16日から供用されている「釣師防災緑地」のラウンドアバウト交差点付近に掲げられる予定です。


フラッグとの出会いは、「東北復興支援ツーリング」

私が初めてこのフラッグの存在を知ったのは、2018年の6月。 我らが「Cafe Club Bigone」が主宰する東北復興支援ツーリングに参加して石巻に行ったのがきっかけでした。


「え、震災から8年もたって復興支援ってどういうこと?」


きっとそうおっしゃる方もいますよね。 都市部に住んでテレビからの情報だけを見ていると、すでに3.11の被災地は既に復興を遂げ、震災は過去のものであるかのような印象を持つことがあるかもしれません。 しかし、実際現地に行ってみると、確かにインフラは徐々に整いつつあるものの、更地が目立つ地域もありますし、特に地元の経済復興はまだまだ道半ばといった状況です。 そんな現状を知ったBigoneは、2016年からSNSで参加者を募り、現地でガソリン・たばこ・酒、そしてお土産などを買うことで経済復興をお手伝いするツーリング、「東北支援ミーティングin石巻」を実施してきました。

こんな風に気軽に参加しながら「経済復興のお手伝い」をすることが、このツーリングの主な趣旨です。

しかし、地元の方々が期待を寄せるのは、商業的にお金を落としてくれること以上に、風評も含め、「都会で伝えられているのとは違う復興の現状」を県外から来た多くの人に肌で感じ取ってもらうこと。

これまでそんな「被災地の心」を参加ライダー各々がかみしめていくことで、被災地域の人々との深い絆を築いてきたのが、この「東北支援ミーティングin石巻」です。

このツーリングには、私たち関東からのライダーと地元ライダーとが親睦を深める機会も設けられているのですが、その中で、東北のツーリング団体で活動するhoshizouさんが、「復興フラッグ」を紹介してくれたのが、私とフラッグとの出会いでした。

復興フラッグの想いを語る東北ライダーのhosizouさん

hoshizouさんは、仲間と共にバイクで様々な街を訪ねながら、この旗の由来を伝える「復興フラッグキャラバン」の活動をしているライダー。 街を愛する人々と、復興に向けて機動力を活かして集まる多くのバイク乗りとの絆を伝え続けています。



「3.11だけが災害じゃないぞ!?」


未曾有の災害といわれた東日本大震災ですが、残念なことにそれ以降も列島は風水害に見舞われ、各地でこれまでになかったような大災害が起き続けています。

なので、そうおっしゃることも、あながち間違いではありません。 しかし、このフラッグは多くの人々の力で壊滅から立ち上がった復興のシンボル。 hoshizouさんたち「復興フラッグキャラバン」は、このフラッグを携えて数々の災害被災地を訪ねながら、多くの人々の力が絆を結ぶことが復興に向けた力になることを伝え、今も多くの被災地を勇気づけています。

フラッグの向かって左端を持っている方は、あの、加曽利 隆さんです。

私は今年(2019年)6月にも、千葉のBigoneのメンバーとともに復興支援ツーリングに参加し、hoshizouさんと交流しながら、新地町庁舎前で元気にはためく現在のフラッグに思いを寄せてきました。


打ちのめされても、それで終わりなわけがない!


そんな楽しい交流もあった東北復興支援ツーリングから3か月後。 Bigoneのある房総半島を、令和台風15号が襲い掛かりました。

千葉上陸の際の勢力は、中心気圧960hPa・最大風速40m/s。 関東としては過去最高クラスとも言われるこの台風は、多くの家屋を全半壊させ、広範囲にわたるライフラインの寸断を招いたことで、千葉県を中心に甚大かつ長期的な被害をもたらしました。

Bigoneのある大多喜でも樹木の倒壊やがけ崩れといった大きな被害が相次ぎ、 Bigoneのお店もまた、来店ルートの一部が不通になったり、看板の倒壊や浸水などの被害を受け、数日間にわたる停電で営業ができない日々が続きました。

いすみ鉄道 大多喜駅前での救援物資配布活動

しかし、そんな中にあっても、Bigoneはある力を振り絞って立ち上がり、移動店舗であるキッチンカーを被災した地域に出動させ、水や食料をはじめ救援物資の配布など、復興支援活動を開始。

私自身はなかなか千葉に行くことができず、この活動は後でSNSで知ったのですが、これにはBigone、そしてPeacemakerの「魂」を感じましたね。


自粛を自粛して千葉に来てほしい!


特に被害の大きかった南房総市では、普段オーシャンビューを楽しむレストランの分厚いガラスが吹き飛ばされたり、そのほかの商業施設にも甚大な被害があり、観光で成り立っている町の被害は相当なもの。 それでも彼らは吹き飛ばされた屋根にブルーシートを張って、今も精いっぱいの営業を続けています。 そうした彼らの努力とは裏腹に、世間には「被災地に遊びに行くのは不謹慎では?」

という自粛ムードが広がり、房総は今、被災以上に深刻な経済的打撃をこうむり、復興の糸口をつかめずにいるというのが現状です。

つまり、「大丈夫です、とにかく千葉に遊びに来てください!」というのが地元千葉の熱い要望。 もうこれは、彼らの「悲鳴」に近いものがあります。

みんなで千葉を走ろうよ!


そこでBigoneでは、急遽房総ツーリングを企画してSNSでメンバーを募ることに。

千倉にあるSound Swell Cafe にて

当初は2019年10月11日(金)に行われるはずだったこのツーリング。 おりしも台風15号を上回る規模の19号接近のために、10月10日(木)に前倒しで行われました。 急な平日の企画、急な変更にもかかわらず、Bigoneの呼びかけに、ライダーが集まってくれて、各々が思いを込めて房総を走ってくれました。



この後一行はBigoneで記念写真をパチリ。


ちょっと待ってください…、この写真のまん中に一人、すごい人がいませんか?

そうです! 毎年東北の復興を思ってやってきてくれる千葉の仲間のためにと、hoshizouさんが東北から夜通し走って駆けつけてくれたんです。 もちろん、新地のフラッグも一緒!!

このタイミングで見るフラッグには非常に感慨深いものがありますね。

これにはBigone代表のopaさん(写真 左)も思わず眼がしらが熱くなったそうですよ。


「リスクとの付き合い方を知っているライダーだから」


話はほんの少しBigoneでの活動のから離れますが、いま、バイク業界からもこうした「バイク+社会支援活動」というユーザーの動きは、非常に注目されているんです。

私は2018年8月、バイクの業界団体と行政の方々が集まって、今後のバイク界の方向性を話し合う、「バイクラブフォーラム(以下BLF)」の岩手一関大会に参加していました。

この回のBLFも、まさに「バイクと災害復興」がテーマの一つだったんです。 このテーマについて壇上でお話をされたのは、当時、雑誌「OutRider」の編集長を務められていた菅生雅文氏。

菅生氏は盛岡のご出身で、震災後にご実家と東京の編集部を何度も往復されながら、現地での災害復興活動に参加されていました。


お話の中で菅生さんは、

当初、盛岡と東京とを行ったり来たりしている中で、福島の高速のPAやSAには、人の気配がほとんど感じられないほどほどガラガラな状況なのに驚かされました。そんな中で気づいたのは荷物を満載したライダーの姿だけはよく見かけられるということ。

東京に帰ってきてから、そんなライダーたちの意思にとても興味がわいたので、ある時「Out Rider」誌の中で東北ミーティングを企画しました。

すると、そこには予想を上回るほど数多くのライダーが集ってくれたんです。


そこで彼らに、「あの時、人が来なくなっている被災地福島に、ライダーはなぜ集まっていたのか?」という素朴な質問を投げかけてみたのですが、彼らからは


「ライダーは日ごろからリスクとの付き合い方を知っているから、こういう時に動けるんじゃないか?」


という話が上がり、なるほどそういうことなのか、とそのときすごく納得したんですよ。


と仰っていました。 私にとってもこの話は、このBLFで最も印象深い言葉になったわけですが、そういったライダーの気持ちのもう一歩踏み込んだところには、バイク乗りを「社会悪」と呼びながら、何のアクションも起こさない、自称「普通」な人々への反骨精神が湧き上がっていたのかもしれませんね。 Bigoneの活動のように(放ってはおけない)素直な気持ちを実直な行動に移せる気持ちの熱さというのも、恐らくその源泉も同じところにあるのでしょう。 その心は受ける人々に深く刺さり、やがて「絆」と呼ばれるものになっていくことを、hoshizouさん、そして復興フラッグは教えてくれているような気がします。


災害の絶えない日本だから


この稿の初稿は台風19号襲来前に書いたたものでした。

しかし本当に残念なことに、今や千葉以外にも多くの地域が甚大な被害に見舞われています。

ですが、こんな中でも何とか営業を続けているホテルや、お土産物屋さんなどが各地にあり、南房総市がそうであったように、自粛ムードでいわば「2次的被害」に喘いでおられる姿が、テレビニュースなどで報道されていました。

ここまで書いてきてやはり思うのですが、ここは「ライダーの出番」なのかもしれません。

確かにまだ安全が確保されず、ツーリングに行くことが適切ではない場所もあるかもしれません。

でも、それができる人であれば、機動力を活かして災害ボランティアに行かれるのもよいでしょう。

そうでなくとも、少しでも落ち着いた時には、あまり気負わず普段通りに、復興に歩みだしたした観光地をバイクで訪ねてみてください。

それだけで現地の人の大きな励ましになることが少なくありません。


その時には、心の中に小さな復興フラッグをはためかせて、気持ちを届けに行きましょうね。

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